私が写真屋を引継いでまる2年、撮った写真を銀写真プリントにする人が本当に年々少なくなっている現状を目の当たりにする中、写真屋の存在意義を探し続けた2年間。私が小さかった頃はフィルムカメラしかなかったから、写真を撮ったら写真屋さんに持って行き同時プリント(現像とプリント)するのが当たり前だった。でも今は「撮った写真はスマホで見ればいいじゃない。スマホだったらいつでもどこでもすぐに見れるでしょ」の時代になった。
こんな時代に写真屋さんでお金出して銀写真プリントすることに本当に意味あるの?ってずっと自問自答してた。
去年の今頃の私はこの問いに即答できずにいた。
意味ないかもしれない。写真屋さんを続けていてよいのかな?と。。。
でも、お客さんは0ではない。私で3代目のタクミカメラには、昔から来てくださる方もいる。逆に「ここって前から写真屋さんだった?」と最近通い始めてくださるようになった方もいる。
写真屋の存在意義の答えは棚上げにして「お客さんがいる限り、引継いだ以上、私たちにできることをできるところまで」と続けていた。
そんな中、昨年6月に参加したフォトNEXT2014の写真家の浅田政志さんのトークインベントで「家族写真とプリントの大切さ」のお話を聞き、「銀写真プリントの大切さ」を改めて再確認することができ、同時に写真屋の存在意義を見つけられたような気がした。http://takumicamera-blog.sblo.jp/article/100168865.html
写真が持つ力を最大限にするには"プリントすること""カタチに残すこと"
写真を見たくなるときは…
人生の節目、大切なものを失った時…
そういう時に写真の持つ力は最大になる。
思い出を想い返すにはどうしたらよいか?
写真は撮って終わるのではなく、プリントして後で見るから意味をなすんだということ。思い出を写真というカタチに残しておくことの大切さ。
これを私たち写真に携わっている者が、ひとりひとりにしっかり伝えていかないといけないということを再認識できた瞬間だった。
それから数ヵ月後、12年間銀写真をプリントしてきたフロンティアの寿命がきた。
プリントする人が激減し写真屋がどんどん店を閉める中、今後プリントが伸びる保障なんてないけど、大切な想い出をより長くよりキレイに残せる銀写真プリントのできない写真屋なんて本当に存在意義がないとの結論に達し、私たちにとってはとってもお高い買いものだったけど、最新のnewフロンティアを導入することにした。
ずっと写真屋に背を向けてきた私が、この2年私なりに真面目に写真と向き合い、素直に、思い出をカタチに残すお手伝いができる写真屋ってステキな仕事だなとの答えに辿り着いた。
アルバムカフェを開催しながら、いろんな方の写真にまつわるお話を伺う時の楽しさ。
アルバムを作りながら思い出を想い返す楽しさ。
作ったアルバムを家族で見るときの楽しさ。
そんなあったかい時間がなくなって欲しくない。
プリント文化は絶対なくなってはいけないという思い。
この思いを胸に店に立っている。
これからもこの思いは変わらず、私たちにできることをできることからやっていこうと思っている。
でも、冒頭の言葉はきつかった。。。
かなりきつかった。
気持ちの整理のために文字にしてみた。
ちょっと冷静に戻れたかな。
さっ、もうひと頑張り仕事します

僕は写真の大切さカタチにする大切さを3年前に実感しました。
東日本大震災で被災した人々は流された写真を必死で探している姿を見ました。回収された写真のクリーニングにも接してカタチになってるから修復できるんだと実感しました。
もしデータのままだったらおそらく見ることもできなくなっていたんじゃないかな〜。
人間は思い出を思い出す時に手がかりが必要なんだと思う。
更にデジタルですら本当の色って出てるのかな?
今時代錯誤のフィルムカメラで写真を楽しんでいる僕は本当の色本当の光と影ってどんなか考えて見るようになりました〜。
アルバムを独りよがりと言う人こそ独りよがりとじゃないでしょうか?
人間がデジタルでモノを見ているのなら時代錯誤と言っていいでしょう。
でも人は感情を持って生きている動物です。
見られればいいっていうドライな方と感情に影響されちゃうウエットな僕は写真が好きだな〜。
好きなものが好きでいいじゃない。
なんて思っちゃった〜。
しかし、冒頭の言葉を言った人は、「銀プリントしてアルバムに残す」という立派な写真の楽しみ方もあるのに、柔軟な考え方ができなかった可愛そうな人だと私は思います。
ある意味、そういった楽しみ方もあるということを知る機会があったにも関わらす、自分の価値観だけで物事を判断し、結果として損をしているなとも思います。
パソコン、インターネットの普及で便利な世の中になりましたが、SNSの自分のタイムラインを見返すことはあるのだろうか?あまりない気がします。
それよりも1年に1冊、フォトブックを作っていますが、すっと本棚から取り出して、その年その年で写真を撮る対象の違い、悩みながら撮ってたその時の気持ちや思いが蘇ってくるプリントした写真の方がよく見返している気がします。
やっぱり写真はデータではなく、プリントして形にしてナンボだと思いますよ。
いろんな考え方ありますね。一方的な押しつけ、独りよがりにならないように、これからも銀写真プリントの良さ、手にとって見ることのできるアルバムの良さをご提案できればなぁと思います!